「ただいま…」
帰宅した深美に、みどりは台所から「お帰り」と声をかけた。
「お疲れ様。浅井さんから何か届いてるよ。テーブルの上にあるからね」
カバンを置きに2階へ向かおうとしていた深美は、みどりの言葉に階段を上がりかけていた足を止め、台所へ目をやった。浅井ということは、次子からだ。
「次から!? 何だろう」
テーブルの上には、小さな段ボール箱が一つ置かれている。深美は即座にテーブルに駆け寄った。
箱を取って、まず送り主の名前に目を向けた。浅井次子。やはり、次子からの贈り物であった。
思いがけない突然の贈り物に、心をときめかせる深美。箱は比較的軽く、少し揺すってみると、カサカサと紙がこすれ合う音が聞こえる。ワクワクしながら、縦に貼られたビニールテープをザーッと優しくはがし、そっと左右に箱を開いた。
くしゃくしゃにされた紙の詰め物の上に、一枚のメッセージカードが入れられていた。カードには手書きで、短いメッセージが書かれている。
“深美ちゃんへ
ちょっと早いけど、お誕生日おめでとうございます。
水曜日からしばらく出張なので、火曜日のうちに送りますね。
私が選んだようなものですが、気に入っていただけたら嬉しいです。
次子”
「誕生日…?」
カードを読み終えた深美は、はたと気が付いた。
「そういえば、深美の誕生日って今週の木曜だったわね。ごめんね、お母さんもど忘れてたわ…」
当人のみならず、母のみどりさえも、深美の誕生日のことを忘れていたのだ。何かを思い出したときのように宙を眺め、調理する手を動かしながらみどりは深美に詫びた。
もうしばらく会っていないのに、次子は自分の誕生日を覚えていてくれたのだ。
言葉で言い表せない感慨深さを、深美は強く感じていた。
「次のやつ、憎いことしてくれるじゃないのぉ。何くれたのかな…」
さっそく紙の詰め物をゴソッと取り出してみると、中から現れたのは透明な直方体の箱。その薄暗い中でちらちらと光を反射しているそれは、腕時計であった。それも有名なブランドのモデルだったのだから、驚かずにはいられない。
薄暗い段ボール箱の中から、その腕時計を明るい外へ出して眺めた。
いくらぐらいしたのだろうか。自分の誕生日だけのためにこんな高い時計を買わせてしまって、申し訳のないという気持ちになる。だが、逆から言えば、次子にそれだけの想いがあるということだろう。嬉しさ半分、申し訳なさ半分というところであった。
「浅井さん、何を送ってくれたの?」
次子からのプレゼントの中身が気になり、夕食の調理を終えて深美の元へやって来たみどり。高価であることは間違いようのないその時計を目にしてやはり、自分のその目を疑わずにはいられなかった。
「深美……それ、本当に浅井さんから深美にくれたものなの?」
「そうよ…。あたしだって、驚いてるんだから…」
みどりは、別に深美を責める気持ちはなかったが、なぜかみどりに責められたような気持になり、深美は口ごもった。次子に高価な時計をせびったように思われたくないという気持ちが強かったからなのかもしれない。
まさか、深美が友達に高価な時計を要求したとは考えたくもないと思っていたみどりは、深美のそのひと言に安心して胸を撫で下ろした。少しでもそんなことを想像してしまい、深美には申し訳がない。
「そう…。それなら良かったんだけど…。大切にするのよ」
「わかってるわよ…」
いろいろと複雑な気持ちにはなるが、せっかくの次子からのプレゼント。ありがたく使わせてもらおう、と深美は思っていた。
その翌日。会社の玄関で深美を見かけた数人の後輩たちは、「先輩、おはようございます!」と声を揃えた。
「おはよう! 今日も一日頑張ろうね」
後輩たちに負けじと調子良く振る舞う深美。その左手の手首には、銀色にまたたくものがあった。早速、目ざとい一人がそれを気にかける。
「先輩、それ…」
深美の腕時計に視線を注ぐ後輩たち。よくぞ気付いてくれました! と言わんばかりに、深美は上機嫌に時計の盤面を見せつけた。深美の思惑通り、一同は騒然となる。
「高かったんですよね? 自分で買ったんですか?」
「ううん。誕生日プレゼント!」
はちきれそうな嬉しさを言葉に込めた深美だったが、その嬉しそうな様に、一人は意地悪そうにニヤリと笑う。
「さては、あの年下の彼からもらったんでしょ?」
一人のそのひと言に、他の面々も同調して深美を冷やかし始める。
「そっ、そんなわけないでしょうが! 友達からよ。だいたい、あいつにそんなお金があるわけないじゃないの」
「わかりませんよー? 先輩のために、コツコツ貯金していたのかもしれないじゃないですか」
「もう…」と不機嫌そうに深美は呟いた。このように冷やかしを受けることは予想はついていたものの、腕時計を見せびらかしたいという気持ちに負けてしまったことを悔いているのであった。
そんなとき、深美のバッグの中から携帯電話が鳴りだした。そら来た! とばかりに、面白がって笑う後輩たち。
「ほら、噂をすれば!」
「もう! いい加減にしなさいっ!」
遂に堪忍袋の緒が切れた深美に声を張り上げられて、後輩たちは退散していった。ひと息ついて、バッグから携帯電話を取り出して電話に出る。
「はい、もしもし?」
「あっ、オレだけど」
声で機嫌が伝わらないように繕ったが、あろうことか電話の主は後輩たちの予想通りであった。再び、ムスッとする深美。
「なあに? こんな朝早くに。あんたと違ってあたしは今から仕事なんですからね、忙しいの」
「ごめんごめん。今日のお昼、いつもの店で待ってるから」
「ち、ちょっと!」
返事も待たず、真也は電話を切った。いつものように、人の都合を考えずに誘いをかけてくる真也にあきれつつも、やれやれ、付き合ってやるか…と深美は携帯電話をカバンに入れた。
昼休み。いつものカフェを訪れてみると、真也は約束通りに待っていた。深美の姿に気が付き、真也は右腕を挙げる。
真也の向かいに座るなり、深美は怪訝そうに頬杖をついた。
「何にする? おごるからさ」
深美に構わず、そう言って真也はメニューを見せる。別に何でも良かったので、「Aでいいわ」と適当に返事をした。
「すいません、Aランチ二つね」 真也は、ウェイトレスにそう声をかけた。
「で? 今日は何の用なの?」
「別に。なんとなく、あんたと食事がしたかっただけだよ」
そのセリフとはやや対照的に、真也はあっさりとそう言った。「ふぅん」と軽く流し、何気なく真也の手元に視線を移す。だが、深美はそこで我が目を疑った。
「どうしたの?」
「それ…、それどうしたの?!」
驚きのあまり声を震わせながら、深美は真也の左手を指さした。
「ああ、これ? この前の試験の結果が良かったからさ、親父が買ってくれたんだよ。似合わないだろー?」
あっけらかんと説明する真也は、自分の腕時計を見て、深美がなぜそこまで驚いているか不思議でしょうがない。
しかし、深美がそこまで驚くのは無理がなかった。真也が持っているその腕時計は、次子がプレゼントにくれた腕時計と同じ仕様のものだったのだから。
「だけど、これがどうかしたの?」
なんと説明すればいいのだろう。まさか、面と向かって「自分の時計と同じ」だとは言いにくく、深美は口ごもる。
今度は真也が怪訝な顔をするが、謎はすぐに解けた。深美の左腕には、明らかに見慣れない腕時計があり、さらに真也の視線から逃れるように、深美は左腕を背後に隠したのだ。
「なんだ、そういうことか…」
「なっ、何のことよ…」
しらを切ろうとするが、却って口調がしどろもどろになってしまっていた。面白がってからかうように、真也は追い打ちをかける。
「だって、いつもと時計が違うじゃん」
「違いません! 何言ってるのよ」
ムキになるあまりに、つい隠していた左腕を前に出し、両手でテーブルを軽く叩いてしまった。あっ、しまった…と深美が思ったときには、すでに真也は満足そうに、意地悪な微笑みをたたえていた。
「へーぇ、お揃いだねぇ。自分で買ったの? それとも、誰にもらったの?」
両手で頬杖をついて、顎を相手に向けるような姿勢で真也は聞いた。
「友達にもらったの」
左腕で頬杖をつき、真也から視線を逸らしながら言う。
「ふーん。あんたも誰かにもらったんだ。これって本当にただの偶然なのかな?」
「ただの偶然よ。そうに決まってるじゃない」
真也と腕時計がお揃い、それも、お互いにお祝いの物として贈られただなんて、こんなにも出来すぎている偶然なんてあり得るのだろうか。どうか、ただの偶然であってほしいと願っていた。
2011/10/10