好きになってはいけない。
そう、何度も自分に言い聞かせていた。それでも、もう自分ではどうにもできそうにないほど、この想いは強くなっていくばかりで、どうしようもなくなっていく。いけないことだとわかっているのに。
私は、あの人を愛している。
けれど、あの人には奥さんがいるし、子供もいる。あの人は、奥さんとは最近ギクシャクしていると言ってはいたけれど、自分のしていることは他人の家庭を壊すという行為に間違いはない。
もしも…、
自分の父親が、母親よりもずいぶんと若い女と寝ているとしたら、自分だったらいたたまれなくなるし、許せないに決まっている。それはきっと、あの人の家族も同じだと思う。だからこんなことはもうやめようと、もう何度考えたかわからない。
だけど…。
あの人と「また今度」と別れるたび、あの人が自分に背中を向けるたび…。あの人が帰っていく。自分のところから家族の元へ、帰っていくのだ。そのとき、あの人のいるべき場所は自分のところではないと思い知らさせるようで、胸が締め付けられる。帰って欲しくない。
ずっと、家族のことなんか忘れて、自分と一緒にいて欲しい…。
「どうしたんだよ?」
あの人の穏やかな声が下りてきた。どうやら、知らないうちに涙を流していたらしい。あの人はその大きな手で、涙を拭ってくれた。
「ほら、泣くなよ…」
慰めてくれる、あの人の優しい笑顔。また涙が溢れてきて、喉まで出かかっていた言葉がひっかかったまま出て来なかった。
「そうか…、またそんなことを考えてたのか…」
だけど、あの人は察しがいい。しょうがないなあ、と言わんばかりにため息をついた。
「忘れろよ。こんなときばかりは、オレだって忘れちまってるんだから、な?」
そう言って、あの人は頭を撫でる。あの人の手のぬくもりが優しい。じん…と心が満たされる。
そう。忘れよう、こんなときは。
今、ここにいるのは自分とあの人だけなのだから。
「村越さん…」
「ん? 何だ?」
「今日は……、帰らないで欲しいの」
やはり、そのひと言に少し戸惑ったような顔をした。思った通りだ。
短い沈黙が走る。そして、ちょっと苦々しいような顔をして答えを切り出すだろう。
けれど、ほんの短い間を置いたその表情は、その予想を反していた。
「わかったよ。玲子のしたいようにしよう」
「いいの…?」
にこやかに、小さく頷いた。
ひと息ついて、立ち上がる。家の近くまで送っていくはずだったのが変わってしまったので、方向が反対になっちまうな、と笑いながら。
頷いて、車へ向かったあの人の後を追った。あの人と同じように笑って。
もう、後戻りはできない。できなくなってもいい。
遊びじゃないのよ、この恋は。
2012/07/06