鍵を開けると、肩を優しく押して、部屋へ入るように促した。自分は後から入り、静かにドアを閉める。

「初めてなのか?」
 不思議そうに部屋の中をキョロキョロと見回していると、不意に声をかけられた。その通り、こんなところへ来るのは初めてだ。
「うん…、初めて」
「そう…かぁ。それだとちょっと緊張しちゃうかな」
 少し困ったように笑いながら、立ってるのも疲れるだろ、とベッドに座るように言ってくれた。言われるまま、二つあるうちの片方のベッドに遠慮がちに腰を下ろす。当然だろうが、柔らかくて心地よい。いい素材を使っているのだろう、肌触りも普段使っているものとは比べ物にならないくらいだった。

 今日は、帰らないで欲しい。そんなわがままに、あの人は快く応じてくれた。

 それから車で30分くらい移動して、到着したのは見るからに高そうなホテル。テレビや映画の中で目にするくらいで、自分には決して縁がないと思っていたようなところだ。緊張している自分とはほぼ対極的に、あの人はいたって平然と振る舞っているように見える。あの人は、こんなところへ来るのは慣れているのだろうか…。

「ねえ…」
「うん、どうしたんだ?」
 ブレザーをハンガーにかけたあとネクタイを緩めて、あの人はこちらを見やった。その様子は、すでにリラックスしているようにも見える。余計に、こういうことに慣れているように見えた。

「慣れて…るの? こういうとこに来るの…」
「オレだって初めてだよ、こんな高いとこに来るのは」
 ため息混じりにそう言って、あの人は隣に腰を下ろした。その重みで、布団が少し沈んだ。
 屈託のない笑顔。それだけなのに、嘘じゃないとわかった。あの人は嘘がつけるような人じゃない。そういうところも、あの人の素敵なところなんだろうなぁ、と思う。

 あの人の手が優しく髪を撫でている。その手は、いつものように安心させてくれる手だ。あの人に身体を傾けた。
「その割には、落ち着いているように見えるけどなぁ」
「マイペースなのかな。そういうとこ」
 二人して笑う。髪を撫でるのが延長して、指で髪をくるくると遊び始めた。何だかくすぐったい。

「もうずっと前、ね。そのときに付き合っていた人に、こうやってホテルに連れて行かれたことがあるの。今日みたいに、すごく落ち着かなかったのをよく覚えてるわ」
「どうして?」
「なんだか、すごくおどろおどろしかった。普通のホテルと全然違ったから」
 そのホテルでのことは、今も苦い思い出だ。その彼とは、そのあとほどなくして別れてしまった。

「オレもその男と同じようなとこに連れて行くと思ったのか?」
 表情はにこやかだったが、疑うようにあの人は聞いた。その問いに首を振る。
「そう思ってたら、村越さんにあんなこと言ったりしないわ」
「嬉しいよ。そう思ってくれたんだったら」
 髪を遊んでいた手が首に回され、身体がより密着する。あたしも、嬉しかった。あの人が安心してくれたことが。

「あたしも、嬉しい」
 少し首を傾けて見上げた姿勢になると、お互いに見つめ合う姿勢になる。
「玲子…」
 熱のこもった声で、囁くように名前を呼ばれる。まぶたを閉じた。

 良かった。これで良かったんだ。ただ、それだけを考えていた。




2012/09/23






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