「洋子!」
 ドアチャイムを鳴らして現れた浩介は、すぐに洋子の姿を見つけて右手を振った。「津村くん!」と洋子も同じように手を振る。

「悪かったな、いきなり呼び出したりして」
「いいのよ、ちょうど空いていたし」
 ウェイトレスに「コーヒー一つね」と注文しながら、浩介は洋子の向かいに腰を下ろした。

「寂しかっただろ。オレがいなくて」
 タバコをくわえて火をつけながら笑う浩介に、洋子はちょっと意地悪そうに笑う。
「ぜーんぜん? 静かになって、逆に良かったわ」
「あっ! 言ってくれちゃって」
 二人して笑っているところへ、浩介の注文したコーヒーが運ばれて来た。

 ウェイトレスが去ってすぐ、洋子は聞いた。
「熱海、楽しかったでしょう」
「楽しかったよ。バイト先のホテルにさ、グズ六と紀子さんが泊まりに来たんだよ」
「それは、電話したときにちょっと聞いたわね」
「それが今度はさ…」

 グズ六の会社の社員旅行とホテルが同じになってしまい、しかも空室がなかったため和子たちに部屋を譲って、グズ六と部長は遊戯室で寝るはめになったこと、グズ六が腰を痛めたこと、部長の顔を立てるために、紀子に部長の愛人のふりをさせたこと…。楽しそうに熱海での出来事を話す浩介の話を、洋子も楽しそうに聞いていた。

「でも、何だったの? あの電話…」
 話が盛り上がっているところだったが、洋子は思い出したように浩介に聞いた。
「電話?」
「ほら、『優しい女でいてくれよ』って…」
「それは…。その…」
 その理由を話していいものか浩介は言いあぐね、しばらく言葉を詰まらせる。いっそ話してしまおうかとも考えたが、思いとどまった。

「いいじゃないかもう。なぁ、それよりもさ…」
「何?」
 問いにちゃんと答えてくれず、洋子はもやもやして少しムッとした。
「洋子も、来れば良かったな。景色もきれいだったし、料理もうまかったし…。いいとこだったぜ、熱海」
「そ、そうね…」
 仕事もあり、洋子は浩介に誘われていたものの、行くことができなかった。旅行中のことを話してくれる一方で、浩介がそのことを悔やんでいてくれたことは、洋子にはとても嬉しく思えた。

「もし…、また行くことがあったらさ、今度は洋子も一緒に行こうな」
「…ありがとう、津村くん」
 また、今度。浩介のこと、明日にでもなったら忘れたととぼけてしまうかもしれない。
 けれど、浩介はちゃんと、今の言葉をちゃんと覚えていてくれるはずだから…。洋子はそう信じていたかった。




2012/07/01






俺たちの旅のトップへ戻る ノベルコーナートップへ戻る ワンナイト・オペレッタのトップへ戻る