洋子が教室へ入ると、浩介や隆夫たちが4人くらいでかたまって談笑している姿が目に入った。

 気になり、視線を凝らすと浩介の手元には本があった。漫画かと思ったが、よく見ると絵が描かれていない。活字の本だろうか、浩介にしては珍しい。
 おはよう、と声をかけながら、気になって浩介のほうへ歩み寄る。気付いた浩介たちも、口々に洋子に返事を返した。
「何を話してるの?」
「これだよこれ」
 そう言って浩介は、手に持った本を振って見せた。タイトルに見覚えがある。タレントのエッセイだった。

「面白いんだよこれー。なぁ?」
「洋子さんも読んでみなよ」
 隆夫たちは頷くが、洋子はがっかりしたように、小さくため息をついて浩介を見据えた。
「なあんだ。もっとためになる本だと思ったわ」
「おい、それどういう意味だよ」
「たまには、あなたたちもこういう本を読んでみたら?」
 そう言って、カバンから一冊の本を抜き出した。少々厚みのある本だった。

 角ばったタイトルの本。何と書いてあるのだろうかと、浩介は目を細めた。
「えっと、ばん…?」
 こんな漢字も読めないのか…、とあきれてしまう。
「情けないわね…、『播磨灘物語』よ」
「面白いのか、それ?」
「面白いわよ。津村くんも読んでみるといいんじゃないのかしら?」
 本をカバンに入れて、自分の席へ歩いて行った洋子を、浩介たちはぼう然と見送る。浩介は、不服そうに唇を噛んだ。

「ちょっと難しい本読んでるからって得意そうになっちゃって、なんだよ。なぁ?」
 いろは食堂で夕食をとっているときも、話題は今朝の洋子のことだ。あれからずっと、浩介はへそを曲げていたのだった。
「でも、すごいなぁ洋子さん。あの本、『下巻』って書いてあっただろ?」
「それが何だよ。長い本読んだら偉くなるのかよ」
「そういうふうに言われて悔しいんでしょ」
 カウンターにいる奈美が、二人の会話に割り込むように言った。二人は奈美のほうへ顔を向ける。
「長い本を読み続けることができるって、根気がいることだと思うわ。それに洋子さんの言う通り、最後まで読み続けるだけの、それだけの価値があるのよ。きっと」
 奈美も肯定はしなかったが、その通りだろう。何も言い返す言葉が見つからなかった。

 次の日。浩介が教室へやって来ると、すでに洋子は席についていた。本を読んでいるらしいのが、後姿からでもうかがえる。
「おはよう、」
 ためらいがちに切り出す。洋子は本に目を落としたまま浩介に「おはよう」と返事をする。
「あのさあ…」
「なあに?」
「昨日の…ことだけど…」
 洋子は、本から顔を上げて浩介のほうを見る。洋子をちらちら脇目に見ながら、腕を後ろに組み、落ち着きなく片足をふらふらと動かしていた。
「昨日のこと?」
 昨日、何かあっただろうかと記憶をめぐらせる。浩介の言葉を待った。
「ほら…、その…」
 口ごもりながら、浩介は指し示すように視線を小刻みに飛ばした。目でその先を辿る。自分の手元だった。もう一度浩介のほうを見た。横を向いたまま、それ以上は何も言わなかった。

 まったく、正直に言えばいいのに。そのさまが何だかおかしくて、思わずクスッと笑ってしまった。
「貸してほしいの?」
「…ああ、そうだよ……」
「いいわ。学校終わったら、うちへ寄って行きましょうよ」
「…ありがとう、洋子」
 そう照れくさそうに言い、浩介は自分の席へ離れて行った。見送って、再び本に目を落とす。

 これで少しでも、浩介のためになれればいいな、と、洋子は思ったのだった。




2013/03/25






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