「なあ洋子、少しでいいからさぁ…」
「しつこいわね、ダメって言ってるじゃない」
 休み時間、洋子を探していたらしい浩介。何やら洋子に頼みごとがあるというのだが、それは断らざるを得ないものだった。

「お願いだよ、あと二日しなきゃバイト代出ないんだ」
「そんなこと言ってもダメよ。この前もそんなこと言って、まだ返してもらってないんですからね」
 数週間前から、浩介は洋子にいくらか借金をしている。一向に返す気配もなく、金欠になる理由も大体予想がついているので、いい加減うんざりしていた。

 話を聞かず突っぱねるばかりの洋子に、浩介はいよいよ苛立ち始めた。自分が悪いかどうかということは、この際は関係ない。
「何だよさっきから! 人が困ってるってのにろくに話も聞かないでさあ!」
「それはこっちのセリフよ! 前に貸したお金返してもらえなくて、困ってるのは私のほうなんだから」
「チェッ、洋子がそんなにケチだなんて知らなかったよ」
「誰がケチよ。もう、津村くんには付き合ってられないわ」
「ああそうかい! わかった。お前にはもう頼まねえよ」
「勝手にしなさい。でも借りたお金は返してもらうわよ」
 投げやりに言い捨てて、さっさと行ってしまった浩介に吐きつけるように洋子は言った。

 その後の休み時間。廊下を歩いていた浩介は隆夫を見かけて声をかけようとしたが、隣にいる誰かと話し込んでいるらしい。よく目を凝らしてみると、それはどうやら洋子のようだ。
 何を話しているのかと気になり、そっと近づいて行った。

「いいんですか? 本当に」
「いいわよ。中谷くんの頼みなら引き受けてあげる」
「やったあ…! ありがとう、洋子さん」
 隆夫が洋子に何やら頼みごとをしたようだったが、何を頼んだかまではわからない。少しして洋子と別れた隆夫に、すかさず話しかけた。

「おいオメダ、洋子に何を頼んだんだよ」
「うちに来て、食事を作ってくれることになったんだよ。洋子さんって本当に優しいよなぁ」
 浩介が盗み聞いていたことにも触れず、隆夫は上機嫌に話した。
 自分が悪いとはいえ、さっきの態度からは想像もつかない洋子の気前の良さが、浩介には虫が好かなかった。

 放課後、偶然に洋子を見かけた浩介は声をかけた。
「オメダから聞いたぞ。メシを作りに来てくれるんだって?」
「ええ。でも、私は中谷くんのために食事を作りに行くんですからね」
 浩介と目も合わさず、洋子はつっけんどんに言い返した。「中谷くんのために」という部分を強調することを忘れずに。
「じゃあ、オレには作ってくれないんだ?」
「当たり前よ。食べたかったら自分で作ればいいじゃない」
「その金がないから頼んだんじゃないか」
「知らないわ。そんなこと」

 冷たい態度を変えない洋子。普段なら同調して、先ほどのようにケンカになってしまうところだが…。

「楽しみにしてたんだけどなぁ」
「何を?」
「決まってるだろ。洋子がメシを作りに来てくれることだよ」
 洋子がふと横を向くと、穏やかな表情をしている浩介と目が合った。少し笑うと、浩介は正面を向く。
「前に洋子にメシ作ってもらったときさ、とっても嬉しかったよ。あのあと、いろんなことがあって言えなかったけど」
 以前、男所帯で寂しそうだからとすき焼きを振る舞ったことがあった。父親のことで荒んでいた気持ちを紛らわすためにやったことだったが、浩介は相応以上に感謝してくれていたのだ。

「じゃあな。オレ、バイトあるから」
 軽く手を振って、浩介は小走りで去って行った。

 冷たい風が頬を撫でていく。浩介の姿が見えなくなるまで、その後ろ姿をただ見つめていた。

 バイトを終えた浩介がたちばな荘に戻ったのは、もう夜8時を過ぎた頃。辺りもすっかり暗くなっていた。

 二階へ上がる階段にいても、部屋からおいしそうな匂いはもちろん、賑やかな話し声も聞こえてくる。

 お金もないので、当然何も食べていない。それに引き換え、隆夫たちは部屋で楽しくやっているんだろう。
 侘しくなり、寒さが余計に染みていった。

 だんだんはっきりと聞こえてくる声。さっさと侘しい気持ちは切り替えて、明るく襖を引いた。

「ただいまー!」
 食卓には、隆夫と大造の姿があった。洋子は二人の向かいに座っている。
 浩介の帰宅にさっそく気付いたのは隆夫だった。
「あっ、浩介お帰り」
「お帰りなさい、カースケさん」
「まったく、食べ物の匂いがするとすぐ現れるんだなお前は」
 笑いながら大造をつつく浩介に、三人で笑い合っていた。洋子は何も言わず、ただほそぼそとつまむようにご飯を食べている。

 隆夫はどうやら、洋子の様子がおかしいことに気が付いたらしく、浩介に耳打ちした。
「洋子さん、浩介のことになるとああなんだよ。何かあったの?」
「別に? 何でもねえよ」
 確かに、洋子と何かあったことは事実だが、隆夫には話したくなかった。
「また、ナンパでもしてるの見られたとかじゃあないんですかー?」
「バカ、そんなことするかよ」
 面白がって笑っている大造を小突く。ふたたび、三人で笑い合った。

 いくら視線を送っていてもなお、浩介を一瞥もしない洋子。
 まだ、昼間のことを怒っているものと思われたが、どうやらそれは違うようだ。

「浩介、食べないの?」
 隆夫の指した先には、伏せられた茶碗と箸が揃えられている。浩介がいつも使っているものだった。

「洋子…これ…」
 我が目を疑うかのように茶碗を指している浩介を、他の二人はわけがわからず不思議そうに見ていた。
「作りすぎちゃって余っただけよ」
 浩介に顔も向けず、つんとして言い返す。箸を動かす右手が、妙にぎこちなくなっている。

 本音をおくびにも見せようとしない洋子に、強情張っちゃって、と思いつつ、浩介は微笑んだ。そしていそいそと、ご飯をよそいに行く。
「ありがとよ、洋子」
「でも、それとこれとは別よ」
「わかってるよ」

 ご飯をよそって嬉しそうに戻ってくると、洋子のひと言で色めきたった二人に早速、つつかれることとなった。
「ねえ浩介、やっぱり何かあったんだろ?」
「何でもねえって言ったじゃないか。いただきまーす」
 隆夫に詰問されても、そしらぬ顔でご飯に箸をつける。
「やっぱり、浮気でもしたんじゃ…」
「お前なぁ、そんなことばっか言ってると…」
「わあっ! 痛い痛い!」
 でも、調子に乗った大造には容赦なかった。ふざけて羽交い絞めにされる。食事中もおかまいなしに騒ぐ三人を、洋子は非難を込めたまなざしで見ていた。

「もう、やめなさいよ津村くん…」
 見かねて止めに入ろうとしたとき、ふと浩介と目が合った。
 優しく笑いかける浩介に、洋子も自然と、頬を緩めていた。




2012/08/31






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