「理介さん、」
あたしはキッチンから顔をのぞかせて、原稿を書いている理介さんを手招きする。
「何だよ小浪。今原稿書いてるんだから…」
そんなこと、今のあたしには関係ないでしょ?
「いいから、ちょっと来てよ」
強引に理介さんの手を引っ張って、キッチンに連れていく。当然抗議はされるけど、聞こえないふり。
「小浪、一体これは何のマネなんだ?」
怒っている理介さん。だけど、気にしない。それよりも、もっと大切なことがあるんだから。
「見てよ! シチュー作ったんだけど、こんなにうまく作れたの初めてなのよ? だから、理介さんに最初に味見してもらおうと思ったの!」
「何だそんなことかよ。仕事あるんだから戻るぞ」
何よ。せっかくこんなにおいしそうに作れたっていうのに。作業場へ戻ろうとした理介さんの腕を掴んで、コンロのほうへ連れて行った。
「ダメよ。絶対に味見してもらうんだから」
お玉にシチューをひとすくいして、小皿に盛って理介さんに差し出した。これで味見しないなんて、言うはずないよね?
「わかったよ。味見すればいいんだろ?」
渋々、小皿のシチューをすする理介さん。あたしはただ、「おいしいよ」のひと言を心待ちにウズウズしている。
「どう? おいしいでしょ?」
「ああ、おいしいよ。じゃあ、もうこんなことで呼び出すなよ」
素っ気なくて、なんかそんなことどうでもいいみたいなその言い方、気に入らない。あたしは理介さんの前にまわって、通せんぼをする。
「そんな言い方しないでよ。もっと嬉しそうに『おいしい』って言ってよ!」
「…しょうがねぇなぁ。おいしかったよ。これでいいんだろ?」
ちょっと嫌々っぽい言い方が気に入らないけど、少しでも笑ってくれたからこれで許してあげようかな?
そして、お昼過ぎのこと。
「理介さん、原稿出来た?」
今のセリフはあたしじゃなくて、原稿を取りに来たアケミちゃん。
「出来たよ。はい、」
「ねぇ、今回の『ボルちゃん』はどんな話なんですか?」
興味津々な顔で、アケミちゃんは理介さんを見つめる。
「それはだな…」
理介さんは腕組みして、漫画のあらすじを話し始めた。
「えー? 教えて下さいよぉ〜」
でも、肝心なところを話そうとしない理介さんに、アケミちゃんは駄々をこねながら理介さんに顔を近づける。
「しょうがないなぁ。アケミちゃんにだけ…」
なんで、あんな女にニヤニヤしてるのよ。もう、許さないんだから。
「わぁ!」
かがんだままこっそり理介さんに近づいて、あたしは思いっきり背中を押した。
「なっ、何するんだよ」
「ウフフ、ちょっと驚かしてみただけ」
思いっきり驚いている理介さんに、無邪気な笑顔で答えるあたし。これにはアケミちゃんも目をまんまるにしちゃってるわ。
夕方近くになって、理介さんも下宿に帰って来た。
「理介さん、お帰りなさい!」
あたしは笑顔で出迎えたけど、理介さんはどうやらご立腹みたい。
「小浪、今日は何なんだよ。オレへの嫌がらせか?」
「そんなわけないじゃない。あたしはただね、」
あたしは隣に座っている理介さんにもたれかかり、上目遣いで見つめた。
「ただ、どうしたんだよ…」
もう、しゃべらないで。あたしは目を閉じて、理介さんの言葉を飲み込んだ。
「小浪…」
何がなんだか、さっぱりわからないような顔をしている理介さん。その理介さんの顔が面白かったから、あたしは思わず笑ってしまった。
今日は、いろいろ困らせちゃってごめんなさい。でも許してね、あたしは理介さんが好きなんだもの。
2011/06/18